20系客車は昭和33年に特急形寝台客車として華々しく登場、東京~博多間の寝台特急『あさかぜ』で運用を開始した。
青一色の編成に白い帯が貫いて編成美を誇り、『走るホテル』と言われて従前の寝台列車のイメージを覆した。
ブルーで統一された美しい編成は後に『ブルートレイン』と呼ばれた。
20系登場以前の列車でも『つばめ』や『はと』で使われたスハ43系は重厚感のある美しい編成だったが、20系客車にはそれとは別の統一感のある洗練されたスマートさがあった。
従前の客車は暖房の熱源を機関車または暖房車に依存していて、必要な電源は車軸発電機で発電した。
その為編成の自由度が高く殆どの客車が連結可能だった。
20系客車ではその概念を覆して固定編成での運用を基本とした。
他形式の客車との混結をしない事を前提としていて、冷暖房等の必要な電源は専用の電源車に積んだ発電機から供給していた。
車体は10系客車の軽量構造を引き継ぎ、電源車以外の台車には空気バネを使用、客室は全て冷房化されていて居住性が大幅にグレードアップした。
20系客車は運用範囲を段々と広げていき、本州~九州間を中心に本州と九州の寝台特急で運用された。
昭和40年代に寝台幅が70㎝に広がった14系寝台車が登場して居住性の改善が図られた。
新しく登場した寝台車に比べて寝台幅が52㎝の20系は、段々と設備が見劣りするようになってしまった。
特急運用は次第に後継の14系・24系客車に譲って、20系は急行列車の運用に転用されていった。
20系客車の本州~九州間での特急運用は昭和53年1月の『あさかぜ』での運用が最後になった。
デビュー当初から20系が務めてきた『あさがぜ』からの運用離脱によって、20系の特急運用は『あけぼの』『北星』『北陸』のみとなった。