ED62

(昭和54~58年)




ED62

三河川合
(昭和56年3月)






私が飯田線を初めて訪問したのは昭和54年だった。
その頃は貨物列車牽引の主力はED62となっていた。
既にED18・ED19は引退、EF10はかろうじて1両が残っていたが、予備機となっている事がほとんどで活躍する姿は滅多に見れなかった。


ED62について

飯田線の貨物列車は伊那松島機関区のED18・ED19と豊橋機関区のEF10が担当していた。
老朽化したこれらの機関車を置き換えるためにED62が飯田線に投入された。
飯田線の飯田以北は線路規格が低かった。そのため軸重の重い機関車は入線できなかった。
ED62は飯田線に入線できるようにED61を改造して誕生した。
ED60とED61は昭和33年に製作された新型直流電機の嚆矢である。
ED61は電力回生ブレーキを搭載していてその他の基本性能はED60と同一である。
ED61は主に中央東線の勾配区間で重連で使用されていた。
中央東線へのEF64の配属に伴いED61は余剰となった。
ED61は昭和49~54年にかけて全機がED62に改造された。
ED62はED61に搭載されていた電力回生ブレーキを撤去、線路規格の低い飯田線に入線できるように中間台車を設け軸重を軽減した。
軸重は中間台車の空気圧を変えることにより13tと14tの可変式とした。
1号機が昭和49年3月に完成、その後11両が増備されて伊那松島機関区に配置、同区で活躍していたED18とED19は昭和54年迄にED62に置き換えられた。
昭和52年~54年にかけて更に6両が改造されて豊橋機関区に配置、同区のEF10を置き換えた。




ED62

東上~野田城
(昭和54年8月)









ED62

田畑~北殿
(昭和58年6月)









ED62

中央アルプスを背にしてトップナンバーが行く

大沢信号所~伊那田島
(昭和57年4月)









ED62

東栄~出馬
(昭和57年5月)









ED62

東栄~出馬
(昭和57年5月)









ED62

時又
(昭和56年5月)









ED62

城西~向市場
(昭和56年3月)










ED62

大田切
(昭和56年3月)









ED62

伊那大島
(昭和56年3月)









ED62

湯谷~三河大野
(昭和56年8月)








ED62

田切~伊那福岡
(昭和56年3月)






ED62は飯田線に安住の場所を見つけて、当面安泰だと思われた。
しかし全国的に貨物列車の運行形態の変更が行われてその影響が飯田線にも波及してきた。
昭和58年から飯田線の貨物列車は段階的に縮小された。
それに伴いED62の活躍の場が減少、古巣を離れて他区に転属する車両も出てきた。
JR化後の平成11年には飯田線の貨物列車は全廃された。
そして最後まで飯田線に残っていたED62もその役目を終えることになった。


ED62 略歴

車号種車新製年月日改造年月日製造所
ED62 1ED61 3昭和34年2月昭和49年3月日立製作所
ED62 2ED61 2昭和33年9月昭和50年3月東京芝浦電機
ED62 3ED61 9昭和34年2月昭和50年8月川崎車輌
ED62 4ED61 8昭和34年3月昭和50年11月東京芝浦電機
ED62 5ED61 6昭和34年2月昭和51年1月東京芝浦電機
ED62 6ED61 14昭和34年6月昭和51年3月日立製作所
ED62 7ED61 4昭和34年3月昭和51年6月日立製作所
ED62 8ED61 11昭和34年3月昭和51年10月川崎車輌
ED62 9ED61 1昭和33年8月昭和51年11月日立製作所
ED62 10ED61 13昭和34年6月昭和52年7月日立製作所
ED62 11ED61 10昭和34年3月昭和52年9月川崎車輌
ED62 12ED61 5昭和34年2月昭和52年10月東京芝浦電機
ED62 13ED61 12昭和34年6月昭和52年11月日立製作所
ED62 14ED61 16昭和34年6月昭和53年2月東京芝浦電機
ED62 15ED61 7昭和34年2月昭和53年3月東京芝浦電機
ED62 16ED61 17昭和34年6月昭和53年8月東京芝浦電機
ED62 17ED61 18昭和34年6月昭和53年10月川崎車輌
ED62 18ED61 15昭和34年6月昭和54年1月東京芝浦電機











ED62

雄大な景色の中を愛らしい編成の列車が行く

七久保~高遠原
(昭和57年4月)









ED62

伊那谷にも春がやってきた

上市場
(昭和57年4月)