昭和50年代前半、首都圏から省型電機の姿は見かけなくなった。
戦中生まれのEF13も姿を消した。
ぶどう色の貨物用電気機関車は高崎・上越線でEF15がまだ活躍していたが、それも徐々に新性能の電気機関車に置き換えられつつあった。
そして東海道本線などの幹線の直流区間では新性能の青い電気機関車がほとんどとなった。
F級新型電機のパイオニアEF60、EF60を大幅に出力アップして量産されたEF65、貨物列車の高速化に貢献したEF66などが主力として活躍していた。
鉄道貨物輸送はトラック輸送と比べて速達性やコストの面で不利だった。
だが、幹線では長編成の貨物列車を牽いて堂々と先頭に立って活躍する姿をまだまだ見ることができた。
昭和59年2月1日、国鉄は貨物列車の速達性の向上と、輸送の効率化を目的としてヤード方式による集結輸送を廃止した。
操車場は57ヶ所が廃止となり、貨物取扱駅も460駅に整理された。
一般車扱貨車は車扱直行列車と集配列車に整理された。
ヤード方式が廃止されたことによって、様々な種類の貨車が雑然と連結された貨物列車は見られなくなった。
また貨物列車の本数削減に伴い、機関車にも余剰が生じた。
あれほど我が物顔で東海道本線を駆け巡っていたEF60もその煽りを受けて急激に数を減らした。