大動脈の貨物列車

(昭和53~59年)




東海道本線 EF60

東海道本線の貨物列車を牽くEF60
牽引機は新性能化が進んでいてほとんどが青い機関車だった

根府川
(昭和54年7月)









東海道本線 EF65

東海道本線貨物牽引の主力だったEF65

掛川~袋井
(昭和55年8月)









東海道本線 EF66

最新鋭機だったEF66はフレートライナーなどの高速貨物を中心に運用されていた

島田~金谷
(昭和55年8月)






昭和50年代前半、首都圏から省型電機の姿は見かけなくなった。
戦中生まれのEF13も姿を消した。
ぶどう色の貨物用電気機関車は高崎・上越線でEF15がまだ活躍していたが、それも徐々に新性能の電気機関車に置き換えられつつあった。
そして東海道本線などの幹線の直流区間では新性能の青い電気機関車がほとんどとなった。
F級新型電機のパイオニアEF60、EF60を大幅に出力アップして量産されたEF65、貨物列車の高速化に貢献したEF66などが主力として活躍していた。




東海道本線 EF60

EF60
初期型と同じ前灯が1灯の外観だが、後期型はクイル駆動式から釣掛け駆動式になった

掛川~袋井
(昭和55年8月)









山陽本線 EF60

セノハチを越えて西へ向かうEF60

八本松~瀬野
(昭和55年8月)









東海道本線 EF60

後期に製作されたEF60はシールドビーム化されて外観が2灯になった

島田~金谷
(昭和55年8月)









南武線 EF60

客車牽引用として製作されたEF60 500番台

稲城長沼~矢野口
(昭和55年4月)









東海道本線 EF65

列車の高速化に対応するために誕生したEF65
EF60より高速性能が向上

島田~金谷
(昭和55年8月)









山陽本線 EF65

険しい峠道を西を目指すEF65

瀬野~八本松
(昭和54年8月)









東海道本線 EF65

客車牽引用のEF65P型
EF65 537号機は一般型からの改造車
寝台特急の先頭にも立った事がある
輝かしい表舞台から貨物牽引用に戻った

掛川~袋井
(昭和55年8月)









武蔵野線 EF65

客貨両用としてオールマイティーな活躍をするEF65PF

新秋津~東所沢
(昭和53年10月)









東海道本線 EF66

EF65の出力をアップして誕生したEF66
フレートライナーなどを牽いて俊足を誇った

島田~金谷
(昭和55年8月)









山陽本線 EF66

EF90として製作されたEF66 901号機
試作機として製造されたが、量産化改造されてEF66量産機とともに活躍した

瀬野~八本松
(昭和57年3月)









篠ノ井線 EF64

抑速ブレーキを搭載して勾配線区で活躍するEF64

松本
(昭和54年8月)









上越線 EF64

EF64 1000番台
上越線で活躍していたEF15・EF16・EF58の置換を目的として製作された
古豪のEF15を従えた3重連で上越国境を越える

越後中里
(昭和55年9月)






鉄道貨物輸送はトラック輸送と比べて速達性やコストの面で不利だった。
だが、幹線では長編成の貨物列車を牽いて堂々と先頭に立って活躍する姿をまだまだ見ることができた。




東海道本線 EF66

EF6627号機
最近まで長い期間活躍する姿を見ることができた

島田~金谷
(昭和55年8月)









東北本線 EF65

EF65PF型が重連で東北本線の貨物列車を牽引

東大宮~蓮田
(昭和57年6月)









山陽本線 EF60

鮮魚列車を牽くEF60
白色の有蓋車が連なった列車は目を引いた

瀬野~八本松
(昭和57年3月)









東海道貨物線 EF65

EF65 530号機
客車牽引用のEF65P型として製作された

八丁畷
(昭和55年)









武蔵野線 EF65

EF65 509号機
寝台特急牽引の役目をEF65PF型に譲り、地味な役目を担った

吉川
(昭和55年4月)









山陽本線 EF61200

セノハチで後補機として活躍するEF61
荷物列車やフレートライナーを担当していた
200番代はEF60初期車からの改造

瀬野~八本松
(昭和57年3月)









山陽本線 EF66

瀬野~八本松
(昭和57年3月)









山陽本線 EF66

冷蔵車で編成された貨物列車
鮮魚などを積載した速達性を求められる貨物列車の牽引もEF66の大切な任務だった

瀬野~八本松
(昭和57年3月)









東北本線 EF65

生石灰を積載したチキを連ねた専用貨物列車

東大宮~蓮田
(昭和57年6月)









篠ノ井線 EF64

勾配線区で能力を発揮したEF64

松本
(昭和56年7月)









上越線 EF64

勾配に強いEF64も上越国境越えではEF16の助けを必要とした

石打
(昭和55年8月)









青梅線 EF64

ED16の跡を継いで石灰石輸送に励むEF64

奥多摩
(昭和58年3月)









上越線 EF641000

EF64 1000番代
上越線の主力として目にする機会が多くなってきた
EF64 1000番代は国鉄で製作された最期の電気機関車となった

津久田
(昭和56年10月)






昭和59年2月1日、国鉄は貨物列車の速達性の向上と、輸送の効率化を目的としてヤード方式による集結輸送を廃止した。
操車場は57ヶ所が廃止となり、貨物取扱駅も460駅に整理された。
一般車扱貨車は車扱直行列車と集配列車に整理された。
ヤード方式が廃止されたことによって、様々な種類の貨車が雑然と連結された貨物列車は見られなくなった。
また貨物列車の本数削減に伴い、機関車にも余剰が生じた。
あれほど我が物顔で東海道本線を駆け巡っていたEF60もその煽りを受けて急激に数を減らした。




東海道本線 EF65

ヤード方式の廃止を控えたころ

根府川
(昭和59年1月)









東海道本線 EF65

根府川
(昭和59年1月)









東海道貨物線 EF65

昭和59年2月改正後の貨物列車は直行方式が主になった
行き先別に組成されているので、編成が整然となった

東京貨物ターミナル
(昭和59年3月)