蒲原鉄道 廃線跡

(昭和61年訪問)




蒲原鉄道廃線跡

蒲原鉄道加茂~村松間が廃止になってから1年9か月が過ぎた
レールは既に撤去されていた
用水路を渡る小さな鉄橋の先に枕木だけが残された道床が田圃の中に延びていた

狭口~七谷






蒲原鉄道加茂~村松間が廃止になったのは昭和60年3月の事だった。
加茂~村松間が廃止になる前は、蒲原鉄道には撮影のためによく訪れていた。
蒲原鉄道に携わる人々、そこで活躍していた個性的な車両など魅力の多い鉄道だった。
沿線風景も蒲原鉄道の魅力の一つだった。
加茂~村松間が廃止となった後も村松~五泉間は存続していたが、景色の良かった区間が廃止となってしまった。
そのためつい足が遠のいてしまっていた。
加茂~村松間が廃止となってから1年9ヶ月が過ぎた頃、蒲原鉄道を訪れる機会を得た。
記憶を手繰りながら、廃線跡を辿ってみた。

蒲原鉄道路線図









蒲原鉄道廃線跡

信越線と接続していた加茂駅跡
まだホームがそのまま残されていた









蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年2月)









蒲原鉄道廃線跡

蒲原鉄道のホームから国鉄のホームに通じていた通路があった場所
国鉄ホームの壁に開いていた通路跡は塞がれていた









蒲原鉄道廃線跡

ホーム上にあった待合室跡の中に、前年の加茂~村松間廃止時にさよなら列車出発式で使われた看板が残されていた









蒲原鉄道廃線跡

加茂~陣ケ峰
加茂の街裏に廃線跡が残されていた









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年11月)








蒲原鉄道廃線跡

信越本線を越えてすぐのところにあった陣ヶ峰駅跡









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年11月)








蒲原鉄道廃線跡

陣ケ峰~東加茂
廃止から2年も経っていないのに、軌道跡はかなり荒れていた









蒲原鉄道廃線跡

陣ケ峰~東加茂にあったトンネルの加茂側坑門









蒲原鉄道廃線跡

陣ケ峰~東加茂にあったトンネルの村松側坑門
トンネル内は水たまりがあり、ぬかるんでいた









蒲原鉄道廃線跡

陣ケ峰~東加茂
倒木や雑草で軌道跡を辿るのは大変だった









蒲原鉄道廃線跡

陣ケ峰~東加茂
東加茂付近の集落内にあった橋台
鉄橋は既に撤去されていた









蒲原鉄道廃線跡

陣ケ峰~東加茂
左奥に小さく東加茂駅が見える









蒲原鉄道廃線跡

東加茂駅跡
駅事務室の一部が蒲鉄トラベルの営業所として、廃線後も暫くの間使われていた









蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年2月)









蒲原鉄道廃線跡

東加茂~駒岡
東加茂方から駒岡方向を望む









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年11月)









蒲原鉄道廃線跡

駒岡駅跡









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年6月)









蒲原鉄道廃線跡

駒岡~狭口









蒲原鉄道廃線跡

狭口駅跡









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年9月)









蒲原鉄道廃線跡

狭口駅跡のホームから七谷方向を望む









蒲原鉄道廃線跡

狭口駅の待合室に掛けられていた絵馬が打ち捨てられていた









蒲原鉄道廃線跡

狭口駅入場券の貼られた絵馬が『狭い口に入る』という願掛けで売られていた









蒲原鉄道廃線跡

正確な駅名は「せばぐち」だが、待合室内の駅名標は「せまぐち」になっていた
(昭和58年2月)









蒲原鉄道廃線跡

狭口~七谷
加茂川に沿って線路が敷かれていた









蒲原鉄道廃線跡

七谷駅跡
廃止まで閉塞取扱いを行う有人駅だった
島式ホームと貨物取扱い用だったと思われるホームがあった









蒲原鉄道廃線跡

日常的にここで列車交換があり、タブレットの受渡が行われていた









蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年10月)








蒲原鉄道廃線跡

七谷駅には廃止時の張り紙がそのまま残されていた









蒲原鉄道廃線跡

七谷の村松側にあった道路との並走区間
右側の草むらが軌道跡









蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年4月)








蒲原鉄道廃線跡

七谷~冬鳥越
七谷から冬鳥越に向けては山間部を上り坂が続いていた









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年9月)








蒲原鉄道廃線跡

冬鳥越駅跡
冬はスキー客で賑わった









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年2月)








蒲原鉄道廃線跡

冬鳥越~土倉に短いトンネルがあった
冬鳥越側から土倉方向を望む









蒲原鉄道廃線跡

左側築堤上に土倉駅があった
道路が拡幅されて、蒲原鉄道の築堤が大きく崩されていた









蒲原鉄道廃線跡

土倉駅跡
築堤上に残っていた土倉駅ホーム









蒲原鉄道廃線跡

土倉駅跡から加茂方向を望む
拡幅された道路を代行バスが通過していった









蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年1月)








蒲原鉄道廃線跡

土倉~高松
田圃の中を軌道跡がのびていた









蒲原鉄道廃線跡

高松駅跡
田圃の中にぽつんとあって雰囲気の良い駅だった









蒲原鉄道廃線跡

高松駅跡









蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年3月)








蒲原鉄道廃線跡

高松駅ホームから村松方向を望む








蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年7月)








蒲原鉄道廃線跡

高松~大蒲原
国道をくぐった線路は大蒲原に向けて上り坂だった









蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年10月)








蒲原鉄道廃線跡

高松~大蒲原








蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年7月)








蒲原鉄道廃線跡

大蒲原駅跡








蒲原鉄道廃線跡

大蒲原駅駅舎
ここも廃止まで有人駅で閉塞取り扱いが行われていた
駅舎が立派だった








蒲原鉄道廃線跡

大蒲原駅跡








蒲原鉄道廃線跡

(昭和59年7月)








蒲原鉄道廃線跡

寺田駅跡








蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年2月)








蒲原鉄道廃線跡

西村松駅跡
村松市街の西端にあった西村松駅跡








蒲原鉄道廃線跡

(昭和58年2月)






廃線跡は西村松駅から村松市街の外周をなぞるように村松駅まで続いていた。
訪問時は既に一部が道路に転用されていて、廃線跡がどこだったか判別が難しい場所もあった。
この時は村松駅はまだ現役だった。
加茂~村松間が廃止になった後も、蒲原鉄道は村松~五泉間が残っていた。
この区間はほとんどの区間が県道に沿って敷設されていた。
沿線は凡庸な郊外の風景であり、余り魅力を感じられなかった。
旅客需要は多そうで、朝夕は3両編成の列車が運転されることもあった。
そのため地元の足として存続するものと思っていた。
しかし経営は厳しかったらしく、残っていた村松~五泉間も平成11年に廃止となった。




蒲原鉄道廃線跡

村松~今泉
加茂~村松間の廃線後も五泉~村松間は存続していた