相模鉄道は砂利の採掘と輸送を主目的として大正6年(1917年)12月に創立された。茅ヶ崎を起点として相模川に沿って路線を建設、大正10年9月に茅ヶ崎~寒川~川寒川が開業した。その後も北へ路線を延伸して大正15年7月に厚木まで開通、昭和6年1月に厚木~橋本間が開通して全線が開業した。
よくJR相模線と相模鉄道(相鉄と略して呼ぶことが多いが)がまぎわらしいという話を耳にするが、それもその筈で現在のJR相模線が元の相模鉄道なのである。
軌間1067mm、全線が単線・非電化で開業当初は蒸気機関車の牽引する列車が運行されていた。
動力の近代化に力を入れていて開業後早いうちから内燃動車の導入に積極的だった。特筆すべきものに昭和10年に誕生したキハ1000形があり、私鉄では唯一の電気式気動車だった。
昭和18年4月1日には神中鉄道を吸収合併した。これにより神奈川県中央部に61.8kmの路線を持つ私鉄となった。
神中鉄道の路線は現在の相模鉄道本線であり、相模鉄道と同じく相模川の砂利輸送を目的として建設された。
当初は保土ヶ谷から厚木(河原口)を結ぶ軌間762mmの鉄道として計画されたが、起点を横浜として軌間を1067mmに変更した。大正15年5月12日に二俣川~厚木間が開業、その後少しずつ路線を東へ延ばして、昭和8年12月27日に横浜~厚木間の全線が開通した。
また昭和16年11月に小田急線との連絡のために相模国分~海老名間を開業、それにともない相模国分~厚木間は旅客営業を廃止して貨物専用線となった。
神中鉄道でも内燃動車の導入に積極的だったが、しだいに燃料の入手が困難な時代になり、それを回避するために昭和17年から19年にかけて横浜~海老名間の電化が行われた。横浜~二俣川間が600V、二俣川~海老名間が1500Vと電圧が異なっていて電車の通し運転は出来なかった。
電化に伴い東急や小田急などからさまざまな電車が入線してきた。
昭和18年4月1日に神中鉄道は相模鉄道に吸収合併された。これは当時大株主であった東急の意向によるものだった。
しかし翌年の昭和19年6月に国策から旧相模鉄道の路線である茅ヶ崎~橋本間とその支線が国有化された。結果的に相模鉄道が神中鉄道に乗り移ったような形になった。
戦時中は東急に経営委託となり大東急の管理下におかれた。
戦後の昭和21年12月に二俣川で分かれていた給電系統を1500Vに統一、横浜~海老名間の電車による直通運転ができるようになった。そして電車が旅客輸送の主力となった。
高度成長期には沿線開発が進み、旅客輸送が主力となった。その輸送を担うために2000系が増備された。
2000系は17m3扉車であり中小私鉄には使い勝手が良かったらしく、相模鉄道引退後、多くの車両が他社に転出していった。
相模鉄道では6000系の誕生以降は自社発注の大型車が主力となり、余剰となった中型車は一部を除いて廃車となるか地方へ転出していった。6000系以降の車両は、20m4扉という地方私鉄では使いづらい車体のせいか、または直角カルダンなどの特殊な構造が嫌われてか他社へは転出することがなくなった。各地で活躍していた元相模鉄道の車両だったが、その車両たちも老朽化によって現在ではほぼ見ることが出来なくなってしまった。現在(2026年)では僅かに元相模鉄道クハ2509だったコデ165が伊豆箱根鉄道で事業用車として活躍するのみである。