各地で活躍した元相模鉄道の車両

~流転の遍歴~


車歴データ 旧相模鉄道

車歴データ 旧神中鉄道

車歴データ 合併後の相模鉄道

豊橋鉄道 クハ2402

豊橋鉄道 クハ2402
神中鉄道キハ43→キハ53→ホハ53→サハ53→クハ1054→クハ1504→豊橋鉄道クハ1504→クハ2402という経歴を持つ

豊橋鉄道
高師
(昭和57年2月)



相模鉄道は砂利の採掘と輸送を主目的として大正6年(1917年)12月に創立された。茅ヶ崎を起点として相模川に沿って路線を建設、大正10年9月に茅ヶ崎~寒川~川寒川が開業した。その後も北へ路線を延伸して大正15年7月に厚木まで開通、昭和6年1月に厚木~橋本間が開通して全線が開業した。
よくJR相模線と相模鉄道(相鉄と略して呼ぶことが多いが)がまぎわらしいという話を耳にするが、それもその筈で現在のJR相模線が元の相模鉄道なのである。
軌間1067mm、全線が単線・非電化で開業当初は蒸気機関車の牽引する列車が運行されていた。
動力の近代化に力を入れていて開業後早いうちから内燃動車の導入に積極的だった。特筆すべきものに昭和10年に誕生したキハ1000形があり、私鉄では唯一の電気式気動車だった。
昭和18年4月1日には神中鉄道を吸収合併した。これにより神奈川県中央部に61.8kmの路線を持つ私鉄となった。
神中鉄道の路線は現在の相模鉄道本線であり、相模鉄道と同じく相模川の砂利輸送を目的として建設された。 当初は保土ヶ谷から厚木(河原口)を結ぶ軌間762mmの鉄道として計画されたが、起点を横浜として軌間を1067mmに変更した。大正15年5月12日に二俣川~厚木間が開業、その後少しずつ路線を東へ延ばして、昭和8年12月27日に横浜~厚木間の全線が開通した。
また昭和16年11月に小田急線との連絡のために相模国分~海老名間を開業、それにともない相模国分~厚木間は旅客営業を廃止して貨物専用線となった。
神中鉄道でも内燃動車の導入に積極的だったが、しだいに燃料の入手が困難な時代になり、それを回避するために昭和17年から19年にかけて横浜~海老名間の電化が行われた。横浜~二俣川間が600V、二俣川~海老名間が1500Vと電圧が異なっていて電車の通し運転は出来なかった。
電化に伴い東急や小田急などからさまざまな電車が入線してきた。
昭和18年4月1日に神中鉄道は相模鉄道に吸収合併された。これは当時大株主であった東急の意向によるものだった。
しかし翌年の昭和19年6月に国策から旧相模鉄道の路線である茅ヶ崎~橋本間とその支線が国有化された。結果的に相模鉄道が神中鉄道に乗り移ったような形になった。
戦時中は東急に経営委託となり大東急の管理下におかれた。
戦後の昭和21年12月に二俣川で分かれていた給電系統を1500Vに統一、横浜~海老名間の電車による直通運転ができるようになった。そして電車が旅客輸送の主力となった。
高度成長期には沿線開発が進み、旅客輸送が主力となった。その輸送を担うために2000系が増備された。
2000系は17m3扉車であり中小私鉄には使い勝手が良かったらしく、相模鉄道引退後、多くの車両が他社に転出していった。






上田交通 クハ2527

上田交通 クハ252
神中鉄道キハ40→キハ50→ホハ50→サハ50→クハ1051→クハ1501→上田丸子電鉄クハ252→上田交通クハ252という経歴を持つ

上田交通
上田原
(昭和61年10月)






別府鉄道 ハフ7

別府鉄道 ハフ7
神中鉄道ハ20形ハ24→三岐鉄道ハフ16→別府鉄道ハフ7の経歴を持つ
別府鉄道では外板張替工事などが行われた
昭和59年1月の別府鉄道廃線時まで長い間活躍をしていた

別府鉄道
場所不詳
(昭和57年3月)






別府鉄道 ハフ5

別府鉄道 ハフ5(右から2番目)
神中鉄道キハ10形キハ10→ハ10→ハフ10形ハフ10→三岐鉄道ハフ14→別府鉄道ハフ5の経歴を持つ
ハフ7と共に昭和59年1月の別府鉄道廃線時まで活躍をしていた

別府鉄道
別府港
(昭和57年3月)






日立電鉄 モハ13

日立電鉄 モハ13
相模鉄道キハ1001→モハ1001→デハ1051→日立電鉄モハ13の経歴を持つ
日立電鉄入線後の昭和40年に特徴のある台形の車体は箱型車体に改造された

日立電鉄
常陸岡田~川中子
(昭和57年4月)






日立電鉄 モハ1003

日立電鉄 モハ1003
小田原急行鉄道モハ7→東急電鉄デハ1157→相模鉄道デハ1157→モハ1003→日立電鉄モハ1003の経歴を持つ

日立電鉄
大甕
(昭和57年4月)






日立電鉄 モハ1008

日立電鉄 モハ1008
小田原急行鉄道モハ14→東急電鉄デハ1164→相模鉄道デハ1164→モハ1008→モニ1008→日立電鉄モハ1008の経歴を持つ
相模鉄道時代に荷物電車に改造された
日立電鉄入線時に片運転台化のうえ車内を客室に戻して、中央扉の片側扉のみが動くようにされた

日立電鉄
大甕
(昭和57年4月)






日立電鉄 クハ2504

日立電鉄 クハ2504
車籍上は青梅鉄道モハ504がルーツだが、実際は相模鉄道時代に車体が新製されて車籍のみ引き継いだ
相模鉄道クハ2506→クニ2506→日立電鉄クハ2504の経歴を持つ

日立電鉄
大甕
(昭和57年4月)






伊豆箱根鉄道 クハ186

伊豆箱根鉄道 クハ186
鉄道省モハ50081→国鉄クモハ11467→相模鉄道モハ2026→伊豆箱根鉄道クハ186の経歴を持つ
元相模鉄道2000系3両が手を組んで活躍していた

伊豆箱根鉄道
飯田岡~相模沼田
(昭和61年11月)






伊豆箱根鉄道 クハ187

伊豆箱根鉄道 クハ187
鉄道省モハ30145→国鉄クモハ11043→クモハ11109→相模鉄道モハ2024→伊豆箱根鉄道クハ187の経歴を持つ

伊豆箱根鉄道
飯田岡~相模沼田
(昭和61年11月)






日立電鉄 モハ2503

日立電鉄 クハ2503
鉄道省モハ30129→国鉄クハ38079→クハ16121→相模鉄道クハ2511→クニ2511→日立電鉄クハ2503の経歴を持つ

日立電鉄
大甕
(昭和57年4月)






相模鉄道では6000系の誕生以降は自社発注の大型車が主力となり、余剰となった中型車は一部を除いて廃車となるか地方へ転出していった。6000系以降の車両は、20m4扉という地方私鉄では使いづらい車体のせいか、または直角カルダンなどの特殊な構造が嫌われてか他社へは転出することがなくなった。各地で活躍していた元相模鉄道の車両だったが、その車両たちも老朽化によって現在ではほぼ見ることが出来なくなってしまった。現在(2026年)では僅かに元相模鉄道クハ2509だったコデ165が伊豆箱根鉄道で事業用車として活躍するのみである。






相模鉄道 2000系 モニ2005

相模鉄道2000系
写真はモニ2005を先頭にした2000系3連の試運転列車
(写真のモニ2005は他社には譲渡されなかった)

相模鉄道
鶴ヶ峰~西谷
(平成18年2月)






伊豆箱根鉄道 コデ165

伊豆箱根鉄道 コデ165
鉄道省モハ30166→国鉄クハ38108→クハ16156→相模鉄道クハ2510→伊豆箱根鉄道モハ165→コデ165の経歴を持つ
現在でも車両の出入場の際などに活躍する姿を見ることが出来る

伊豆箱根鉄道大雄山線
穴部~飯田岡
(令和2年3月)












車歴データ 旧相模鉄道

車歴データ 旧神中鉄道

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